以下の感想(主にユーザーからのお便りから抜粋)は、ご本人の了解を得て、このページに紹介しました。


[オーディオ迷い歩き]

 

1 はじめに

いい音とは、どんな音のことを云うのだろう。

一般に再生装置から出る音は、コンサートホールの一番良い席で聴く音を彷彿とさせる音・・・という表現になる。これは生の音との比較ということで、納得がいく。その通りだと思う。

しかし50年以上も前に録音されたレコードをいい音で鳴らす基準は一体何だろう。半世紀も前に録音された音と、現在の様々、進歩している録音技術や再生装置の音を単純に比較することはできないが、かつて機器の性能が十分でない装置で聴いていた気に入ったレコードを、何とかいい音で聴きたいという思いは依然として変わらずにある。しかし絶対的ないい音を想像することは、難しい。

これまで随分たくさんのオーディオ製品を見てきた。試聴会があるたびに会場へ足を運んだ。こうした会場での試聴は、ほとんどが試聴会とは名ばかりで、音を聴く理想的な環境とはかけ離れたものであった。音楽を鑑賞したり音の微妙な違いを聴き分ける状況にはなかったが、評判の新製品を間近で見られることが、何よりのうれしさであった。50年余り、飽きもせず、いい音で音楽を聴くことに興味を抱き続けてきた今、少し落ち着いて自分のオーディオに対する思いをまとめてみようと思う。



2
ベルウッドランシングとの出会い

16年前位になるだろうか。私は偶然にベルウッドランシングの試聴会に出会った。ある日、朝刊に「全国試聴キャラバン三重試聴会」という風変わりな新聞の折込広告が挟まっていた。オーディオの宣伝チラシが新聞に入っていることなど、これまでなかったし目にしたことはない。勝手に言っていいものか電話をしたところ、試聴の予約を取っておきますということだった。JR桑名駅近くのホテルが会場となっていた。

チラシにある、手造り「音」工房、ベルウッドランシングというフレーズにも心を動かされるものがあった。「工房」というこれまでオーディオ製品からはなじみのない言葉が気にかかった。会場へ行ってみると、これまでの試聴会のイメージとは全く違っていて、まさに音そのものを聴くという環境が整えられていた。本格的な試聴室が用意されていた。話を聞いてみると、ベルウッドランシングというのは名古屋の中川区にあり、私の目の前に並んでいるスピーカーやアンプを設計し製作している工房であり、販売もしているということであった。

スピーカーは想像していたものとは全く異なっていて、大きくて重いという印象であり、ウーファーは38センチもあり、これまで家庭用として思い描いていたものとは違っていた。この会場で初めて聴く音そのものは、いいとか悪いとか、そのようなレベルで判断するような単純なものではなく、オーディオ機器のたたずまいや音造りから、作り手の音に対する思想というものが感じられた。スピーカーはJBLで統一されていた。

ここで初めて「工房」という言葉の意味が少し把握できたのである。作り手が自分の思うように設計し製作したら、こうなりましたと云わんばかりの説得力があった。消費者の側から見て何かとても近しく感じる「工房」という言葉の響きは、その時初めて知った機器メーカーが、自分の感覚ときわめて近い位置にあるように感じた。

オーディオ・ショップで店員から話を聞き、品物を購入するのとは違って、まさに目の前の機器を実際に設計し、製作している人からアンプの構造や使われている部品、音の考え方について詳しく話を聞くことができた。これまでは、製品の性能や音の印象といったものはオーディオ雑誌から情報を得ることがほとんどで、それが当たり前のことであった。

その数日後、今度は会社の試聴室へソフトを持参して出かけた。驚いたことに、試聴室の隣の部屋で、はんだ鏝を持ってアンプを製作している最中であった。私の目の前で手に取るように組み立ての様子を見ることができた。一台一台手作りの最中であった。

ベルウッドランシング「工房」との出会いによって、私は音楽を聴く機器を揃えるという感覚から、自分の聴きたい音に装置を近づけていくという考えが、現実的に可能であるという実感を持った。自分も求める音に自分なりの思想を持たなければならないと、その時感じた。 



3
オーディオ機器の修理

ある日突然パワーアンプのスイッチの具合が悪くなり、電源が入らなくなったので修理を頼むことにした。このアンプは購入してから10年使い込んできた。その折、トランスが古い型なので新しいものに変えてみたらどうだろうかという提案があった。調べてもらったところ4台のうち2台が古い型のトランスであることが分かった。そこで新しいトランスに変更をお願いすることにした。マルチアンプとして使用する4台がこれで同じ性能を持つことになる。

アンプひとつとっても、最初はステレオアンプ1台で聴いていたのが、次はモノラルアンプ2台になり、さらにスピーカーが変わるとマルチで鳴らそうと4台になった。私の装置は長い年月を経てこのように変化してきている。そのために同じ型番のパワーアンプでも購入時期の関係でトランスに違いがあったのだが、音楽を聴く上でその違いはさほど気になることはなかった。

しかし、こうして4台が同じ性能を持つと、聞こえる音は全く別物で、音の出方に落ち着きと余裕が感じられ、音のグラデーションが豊かで緻密になった。さらに音楽の懐が深く広くなったのが分かる。これまで聴きなれた同じソフトが、自分の求めてきた要求により近いものになった実感がある。長年使用してきた同じアンプ、同じスピーカーで、音楽の聞こえ方が高度になるのが分かる、そうだ、こういう音でフランソワのドビュッシーを聴いてみたかったとその時感じるものがあった。ジャズはどのように鳴るか、ビル・エヴァンスを聴いてみる。ピアノの複雑でデリケートな和音が、実に細やかに神秘さを増して聴こえる。自分が渇望していたのはこの音だったんだと気づく。

購入から10年経った頃、スピーカーの音に何かキリッとしない「たるみ」のようなものを感じるようになったので、工房に相談してみたところ、スピーカーのエッジに問題が発生しているかもしれないということだった。エッジを調べてみるとベタベタしていて所々に細い亀裂があった。スピーカーを取り換えるのではなく、エッジの張替えができるということであった。これまでスピーカーのエッジを張り替えるということなど考えたこともない。機器は故障したから修理するという前に、常に手入れをしながら最良の状態を維持していくことの大切さを知る事となった。

音は不思議なもので長く聴き込むと、いつの間にか自分の音になり、それが持続され続けているものだと錯覚してしまうものだ。何の疑いもなく聴いている日常の中で、何かのきっかけで、小さな違和感といったものが突然頭をかすめる。ふとした事で音の出方のかすかな異常に気付く。

エッジが新しくなるだけで音に弾力がよみがえり、音が前面に力強くほとばしり出てきて、切れ味が鮮烈さを増したことが分かる。スピーカーの直径が38センチのウーファーとなれば、なおさら変化の違いが大きいものとなる。

 

4 オーディオ機器の進化

平成22年頃、プリアンプの新製品(弊社注・MS880DC/S)が出ることになった。これまでの黒いパネルではなく、シャンペンゴールドのモダンな高級感あふれる雰囲気のデザインになった。そのプリアンプの開発に至った考え方、進化した点について何度も詳しく話を聞いた。このプリアンプを私の家の装置につないでみたら・・・という考えが浮かんだ。しかし、プリアンプだけが高性能になっても・・・他がつりあわなければ・・・と思い悩む中、どうせそれほどの変化は期待できないだろうと思ったが、試しに聴かせてもらえることになった。

その音の鮮度の変化に驚いた。音の細かい粒が芯を持って感じられることと、音の背景にある静けさが私の想像を超えていた。プリアンプが変わるだけでこれほどにも音の印象が変わるものなのか・・・驚いてしまった。

自分の所有するオーディオ機器は時代とともに古くなることはいたし方のないことではある。私はこの新製品の音が気に入ったからといって、すぐに新製品のプリアンプに変更しようという勇気はない。

私は恥ずかしいと思ったのだが、一応聞くだけは聞いてみようと思った。これまで使用してきたプリアンプの操作関係はそのままで、新製品の進化した要素を今使用している私のアンプに取り入れることはできないものか・・・恐る恐る訊ねてみたところ、可能であるとの返事をいただいた。聞いてみるものである・・・こういう思ってもみなかったことが可能だと・・・。

自分のオーディオ装置が、見かけは何も変わらないで、装置の内部は目覚しい進化を遂げていく。こんなことは以前には考えられないことだった。新しい魅力ある製品が出れば、それと買い替え、取り替えていくという・・・そういうものだと思っていた。工房の仕事や技術というのはすごいものだと思った。ここで製作したものは、音はもちろんのこと、部品の性格・癖などすべて知り尽くしていて私の考えている事など、どうにでも改善できるという余裕が感じられた。

かつて、オーディオ雑誌がたくさん出ていた頃、このメーカーのこのアンプは、このような音が出るという聴き比べの記事が分かりやすく点数化され掲載されていた。そのような批評をいろいろな雑誌を頼りにして自分なりのイメージを膨らませていた。様々なものが大量生産、大量消費の中にあって、オーディオ製品も例外ではなかった。8年が修理の利く目安であるということは、8年でダメになるということだとその当時当たり前に思っていた。もちろんオーディオの目覚しい発展・進化のただ中にあり、新製品に心を奪われる時代でもあった。故障した時点で、修理すべきか、それとも新製品に変えるべきか、常に悩まされ続けてきた。新製品を目の前にすると、次は少しでもこれまでのものより高級で評判の良い物に変更していこうという熱意のようなものがあった。この頃、新しい製品は性能が格段に良くなって、これほどの物理特性ならば絶対にいい音がする筈だと思い込む、頭でっかちの似非オーディオマニアになってしまっていた。

この頃評判になっている新しいアンプやスピーカーを購入しても、新しい録音のソフトは素晴らしいなり方をするが、古いソフトは期待外れということがよくあった。友達の装置をいくつか試聴したが、同じように不満が残った。

今はかつてのオーディオブームも去って久しいが、この頃身についた知識や感覚は忘れることはなく、依然としてこれまで以上に思いは強くなる。

故障した箇所を修理するだけではなく、内部を進化した部品と取り替え、レベルアップした音に作り替えることができれば、話は別である。

それぞれの機器のデザインが気に入って購入したものばかりでセットは出来上がっているものだ。不思議なことにオーディオ機器のデザインは30年位では飽きがこないものである。音とデザインとが離れがたくかみ合っているからであろうか。そのこともとても重要なことであると思う。オーディオ製品は趣味性も大事であり、性能さえ良ければ満足というものでもない。

修繕が終わったスピーカーと新しく生まれ変わったプリアンプでフランソワの引くドビュッシーの「子供の領分」をレコードで聴いてみる。第1曲目「グラドォース・アド・パルナッスム博士」から順番に聴いていく、6曲目の「ゴリウォーグのケークウォーク」はどのように鳴るか、心が躍る。

フランソワの演奏は一般的なドビュッシーの堅めの音とは違って、深々とした豊かな音が特徴である。

これまで聴いてきた印象と異なっていると思う点は、その一音一音の音の深さである。馥郁たる音色といったらいいのか。音の響きの中から、フランス人としてのフランソワの最も大切にしていたドビュッシーのピアノ曲を、ピアニスト人生最後の集大成として取り組んだ、その演奏である。立ちのぼる響きの中に少しの迷いもない明晰な旋律が、フランソワ独特の左手の柔らかくふくよかな和音にのって進行する。

ラヴェルやドビュッシーは無味乾燥な音の羅列を聴かされる演奏が多い。フランス音楽は感覚とかニュアンス、立ちのぼる香気といったセンスが不可欠となる。フランソワはどんな小さな箇所にも歌を見つける。そしてその歌い方が実に丁寧で、フランソワ独特のリズムがある。フランソワのレパートリーの中で、ドビュッシーのピアノ曲の演奏は格別で、特にその点が優れているようにも思う。

中でも1曲目は超絶的なテクニックのはずなのだが、実に落ち着いた演奏で困難さをほとんど感じさせない。6曲目のはじける様なリズム感、独特の間、色彩感、音の前進していく力等、この安定感はこれまで感じた事のなかったものだ。

今度はラヴェルの「夜のガスパール」からスカルボはどうか。1947年、23歳の古い録音から57年、67年と20年におわたる演奏の表現の変化を聴き比べてみる。

長年にわたって聴き込んできたフランソワの演奏のすばらしさに、やっと行き着いた思いがする。フランソワの奏でる音から、音楽を演奏するというより、物語を音楽に乗せて「語る」という姿勢を感じる。

 

5 オーディオ機器の問題点

オーディオ機器は長年使用していると様々問題が起きてくるものだ。どんな高性能なものでも、このことにおいてはほぼ同じであることはこれまでの経験の中で熟知している。しかし今使用中の機器がある日突然調子が悪くなったとき、何とか元通りに直す方法はないだろうかと思うのが普通の感覚ではないだろうか。このことをメーカーに相談すると、修理はできるが使用期間が随分たっているので、その後また違う箇所が壊れると再度種類が必要になるのでは・・・と一見親切そうな答えが返ってくる。つまりいとも簡単に新製品への変更を薦めてくる。

機器の調子が悪くなったときに、それをどのように解決していくかを相談するところはないかと常々考えてきた。こうした自分の姿勢が何かとてもけち臭い人間に思われはしないかと・・・店に出かけて行く気持ちにはなれなかった。このような状況下で「工房」という存在に気づくことになった。


6 工房の力を借りて自分の装置を作る

以前、4台の内の2台のパワーアンプを使って、もう一組のスピーカーを鳴らせるように、スピーカー・チャンネル・フィルターやステレオ・スピーカー・セレクターを製作してもらった。

またMCカートリッジトランスに2台のレコード・プレイヤーを繋いで、切り替えて聴くことができるようにステップ・アップ・トランスフォーマーを製作してもらったこともある。このように自分のシステムをより便利に有効に使用できるように、素人の私が思いついた考えを聴いてもらって、その時々の問題を解決していくこともできるようになった。こうして自分の思いが形になっていくことは、オーディオの楽しみに充実感が増す。


7 レコードの音

レコードやCDの中に入っている音は、厳密にいえば誰も知らない。これがこの音源の正確な音ですと断言するものはない。

私はアート・ペッパーが好きで、手に入るものはほとんど聴いてきた、その時々の装置で。生の演奏は残念ながら聴いた事はない。初期の頃のきわめて音の悪いレコードも何枚かあるが、そのレコードは正式に録音されたものではなく、そういうものであり、後の録音の音とは比べてみるまでもないことであるが、それでもペッパーの最盛期の音を頭に描いて聴こうとする。音も大切であるが、若い頃の演奏から想像できるテクニックの冴えやアドリブのスタイルといったものを聴き取ろうと耳を欹てる。

こうした自分の好きなアーティストの音を想像し、アルトサックスの楽器の構造や数少ないDVDを見ながら、ペッパーにふさわしいと思う音を、自分なりにつくり上げていくのだろうと思う。こうして、自分独自の音に対する思いが引き出されてくるのではないか。このようにして、様々な楽器の音やオーケストラなどのような多くの楽器の音の集合体のつくり出す音の違いを、捉えていくのであろう。


8 自分の音を育てる

オーディオ機器は音に関係する装置である以上、何でもかんでも故障したら新製品に替えればいいという簡単なものではない。音を鳴らすシステムには自分なりの愛着が濃密にあるからなのだ。

購入した日からシステムを育て上げていくという側面があるのだと思う。これは機器だけに限った話ではなく、音楽を聴く姿勢も、音楽的教養もシステムと一体となって、長い年月をかけて育っていくものであることが重要だと考える。ソフトを再生するということは、このように総合された様々な要素によって成り立っているのである。

今、現在鳴っている音をこのまま保ちたいという願いと、まだ進化する余地がありはしないかという思いと、この中間点に立って日々スピーカーの音に耳を澄ませているのだ。単にソフトといっても私には、レコード・テープ・CDなど様々あるが、音はあくまで自分の装置の音としての記憶の中に存在する。

三重県 H・T様



















 今まで「オーディオはバランスが一番大切」と思っていました。クラシックやジャズ、ロック等、ジャンルを
選ばず楽しめるシステムが良いのは言うに及ばず、料理に例えれば、微妙な塩加減をどう調整するか、
いかに琴線に触れるような「味付け」にするか、それがオーディオの醍醐味だと思っていました。

 しかしBell Woodと出会って「オーディオの概念」が変わりました。オーディオに「味付け」というのは存在しないのだと。
釣れたての魚をその場で刺身にするが如く、そこにあるのは「素材の旨み」だけです。
すべてが「ストレート」でソフトに記録された音楽が、赤裸々に聴こえてきます。
特に引き締まった低音をベースとした安定感のある音楽は、格別です。

 部品の個体差まで1つ1つ吟味し手作りされた極シンプルな増幅回路、
コストを度外視した強固な重量級エンクロージャー、そして優秀なJBLユニット。
また驚くほど手厚いアフターフォローも、製販一体ならではのものです。

 末永く、愛用していきたいと思っています。                                       和歌山県 W・D様



 ドラムスとベースの見事な再生能力は、低域〜中域〜高域の全可聴周波数帯域の
音源データーを忠実に再生する能力を備えていることを意味します。

 この点が、過去に擁いた私のオーディオに対する概念と違うところです。

 B.W.Lオーディオは、ピアノ、管楽器、弦楽器、ドラムス、ベース、ボーカル・・・
全ての音源を見事に再生してくれる・・・・B.W.Lオーディオに対する私の結論です。

 毎日、僅かな時間でもJAZZを聴き、心底から楽しんでおります。
                                                                    東京都 T・Y様

 

 ところで、BWLサウンドはとても地味な音と思います。
眼を閉じて聴けば、チャペルの大きさからは想像できない刺激のない、
ピュアーで優しく、音像定位がよい広がりのある、オーディオ装置の存在を感じさせないサウンドです。

  だから、派手好みの若者、オトキチ、オーディオマニアには、地味なサウンドは物足りないのかも知れません。
・・・巷の評価は如何でしょうか?

 しかし、音楽を自然な音で楽しむ人達には、BWL製オーディオ装置は最適・最高です。

                                                                    東京都 T・Y様



 貴社の最大魅力と強みは、音楽ソフトの信号入力よりAMP−SPEAKERに依る
オーディオ音声出力迄一貫して高忠実度の再生音がリスナーの耳迄の保証と
満足度があることが何よりの強みと考えます。

 感想ですが、「素晴らしい」とか「凄まじい」を超えて、何か「神懸り的」なものを感じます。

 先日、ブルーノート東京では生のジャズを堪能してきました。
Dave KozとKirkWhalumのサックス、Brian Simpson のキーボードがそれぞれ素晴らしく、
とても楽しんできましたが・・・帰宅後に聴いた自宅の音楽の感動はそれ以上でした。

 一方、ムリーリョの絵画は、どこまでも「柔らかいが力強く」「分厚いのに透明感があり」生命感に満ちていました。
私にはBell Woodの音に一番近いように思えました。・・・芸術というのは、共通点があるのですかね。

                                                                   和歌山県 W・A様



 此の度は大変お世話になりました。セッティング後どう変化したか、期待しながら電源を入れました。
先ず、好きなビクターXRCD盤のCDでシェリングのブラームスVn協を聴きました。音が前面に出て来る様な、
積極性に感心しました。これでは読書しながらBGM的には聴けないと思いました。

      これで今日は求心的な気持ちで、音楽にのめり込もうと思いました。

                                                                     宇都宮 H・M様



 主に1960年前後の旬のモダンジャズ(モノラル末期・ステレオ初期の可聴帯域のバランスが極自然な録音)が大好きです。
以下は「これがはじめの一枚のジャズ・オーディオ」ファン/マニア!?の定番アートペッパー/ミーツ・リズムセクションの感想です。
(加えて・・・以下はBWLオーディオの原点でもあり、最初のSPシステムの定番 [凱旋門] の試聴の感想でもあります。)

 このアルバムは歌手・ペッパー(as)による〜詠うやうなフレーズの歌詞の無い!ジャズ♪ボ〜カルの名盤だと思います。
まさに!この時期のペッパーの精神状態を払拭するやうな、彼の叫びは「ジャズ界の白人差別」への、一匹狼の挑戦状だ!
シャイにひとり、左側に立って熱くブロ〜するアートペッパーに右寄りのマイルスのリズム陣が〜押しては引いても寄り添う演奏。
すべての曲が1テイクで決まった!とおりのスリリングなインタープレイの素晴らしさが伝わり〜50年以上!前の生演奏が眼前
に現れたやうな?不思議な気分〜。〜 スピーカーから、こんな音離れの素早い立体感がある生楽器のやうな〜押しが強く
タメも効いた、手を差し伸べると掴める様なサウンドステージが現れるとは?オーディオ装置を意識させない、捨てろーサウンド。

 凱旋門の2段積み、計4個のSP.BOXから各々のメンバーの音色の重なりが、相乗効果して包み込むような優しいハーモニ〜
特に、強弱のタッチがフレックシブルに倍テンでプッシュ_プル〜バッキングするPガーランドやDrフィリーの控え気味なアドリブ。
主役のペッパーにアンサンブルするサウンドは、高低別・1SP独立構造のエンクロジャーを左右・別々のモノラルマルチアンプ
方式(1SP*1AMP)による余裕のグリップ力で軽々と力強く空気を震わす〜音圧感は生演奏を彷彿させるようなサウンドステージ。

しかもボリュームを絞ってもダイナミックレンジの幅を広く感じ、体感する音の振動もすこぶるリアルなのは、まるで生演奏を彷彿
させる臨場感。まさに半世紀もの月日のカーテンを取り除くが如く新鮮に響く〜音楽鑑賞は白昼夢のやうな〜ひととき・・・

レコード芸術・音♪楽は「貴重な文化遺産」だと思います。それを再生するBWLオーディオは「ミュージック・タイムマシーン」です。


                                                                     愛知県 N・M様